あたりまえ
やったるで総会の時に武田先生に話していただいた
「あたりまえ」を今、身に染みて痛感しています。
自分の軽率で不注意な行動から指と手のひらを手術した。
術後、ギブスと激しい痛みで左手がほぼ使えなくなった。
痛いだけでも辛いが、手が不自由で今まで「あたりまえ」に
出来ていたことが出来なくなったことが辛い。
服を着る、ご飯をたべる、お風呂に入る、顔を洗う、
キャップを開ける、携帯の操作、薬を飲む、鼻をかむ、
パソコンを打つ(今)、車の運転(無理)、などなど、、、
そして何より多くの仲間と家族に迷惑をかけてしまっている。
楽学塾やアポイントもキャンセルさせてもらったし、
東京などの出張は、しばらく見合わせることになった。
でもこうなったことで感じることができたことがたくさんある。
当然、何不自由なく痛さもなく使っていた左手さんの有り難さ、
心配してくれて、仕事を信頼しお願いできる仲間たちの有り難さ、
優しい気遣いで身の回りを世話してくれる妻や子供たちの有り難さ、
本当に「有り難い」ことだな~って感じさせられています。
そして今回の出来事を通して多くのことも学びました。
大切な身体をもっともっと大切に扱わなくちゃいけないって学びや、
もっともっと仲間を信頼して仕事を託していこうって学びや、
妻や子供たちをもっと愛し、行動で返していこうって学びなど、
多くの学びと共に、本当に多くの感謝(有り難さ)を感じれました。
今回の経験は辛いけれど、それ以上に多くのものを得ました。
仲間や家族、そして携わるみなさんご迷惑をかけますが、
これを機に大いに甘えてみようとも思っています!?(笑)
本当に有り難いです! ありがとうございます!
最後に武田先生から教えていただいた「あたりまえ」という詩を添付します。
「あたりまえ」
あたりまえ こんなすばらしいことを、
みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる、お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いていける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせなことがあるのでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます。
食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる
空気を胸いっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、
みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、
それを失った人たちだけ なぜでしょう あたりまえ
『飛鳥へ そしてまだ見ぬ子へ』より